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神戸地方裁判所姫路支部 昭和32年(ワ)159号 判決

原告 山田耕太郎 外一名

被告 浅田化学工業株式会社

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「昭和二五年一一月四日被告が原告等に対し行つた解雇は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告等は被告会社に勤務していたものであるが、昭和二五年一一月四日被告は原告等を解雇した。

二、右解雇は明らかに共産党員ないしはその支持者を企業より排除することを目的としてなされた所謂「レツド・パージ」である。

三、レツド・パージとは共産党員並にその同調者であるが故に謂れもなく解雇されることをいう。そして被告は原告等が共産党員又はその同調者であるとの理由のみを以つてこれを解雇したのである。何等原告等の具体的行動をとり上げてこれを理由にして解雇したのではない。又実際原告等にはとり上げて批難されるような具体的な行動は全く心当りがない。実に思想信条のみを理由にこれを解雇したのである。

四、従つて右解雇は憲法の基本原理である人権尊重主義の精神に反し、具体的には第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項の規定に反するものであり、且つ労働基準法第三条の規定にも反する。従つて本件解雇は民法第九〇条により当然無効であり、仮りに然らずとするも解雇権の濫用として許されない。

と述べ、被告の答弁事実を争い、被告の抗弁に対し、

一、解雇の無効を主張する権利は消滅していない。

(イ)  予告手当等を受取つたことを無効の主張(解雇に対する異議)をしないという暗黙の意思があつたものと見るのは見過ぎである。およそ本件解雇程乱暴な無茶なものはない。そして労働者が突如として解雇される位打撃を受けるものはない。この無茶に対しこの被害をともかくも凌ぐ為には多少被告が思い違いをするかも知れないこと(異議なく解雇を承認したのであろうとの誤解)を敢てしても又緊急已むを得ないものがあるであろうことは客観的に明かである。寧ろ思い違いをする方が虫のよすぎるものがあると見るのが一般なのではなかろうか。即ち原告等はこの解雇が不当無効のものである以上給料を断じて貰い得る所である。被告がどう思うかにかかわらず原告等はこれを給料の一部として取敢ず受取り、そして徐々に対策を講ずるのは当然のことであり、又何人もそうするかも知れないことは客観的に明らかである。それを独り被告が無効を主張する権利を放棄したと思つたにしても、それは単に被告がそう思つたというに過ぎずしてその思い方には客観性がない。

(ロ)  解雇の無効を主張する権利自体が消極的不行使により自壊し消滅したというが、これは最近に所謂失効の原則をいつているのであろうが、元来失効の原則は信義則の一適用として理解されるべきものであるところ、本訴における解雇(レツド・パージ)は前述の如く全く乱暴な無茶苦茶な不信義不誠実なやり方でこの不義不信の所為に対して反抗しようとしても殆んど暴力的と云つてよい程の大きな社会的圧力により已むなく圧倒されていたものが漸くそこここに立ち上るものあるを見るに至つてここに原告等も又本訴に及んだのである。永い間忍んでいたということは決して徒らに不行使を敢えてしていたのと異る。又実際社会においては原告等のようにパージされた者は未だに就職することは出来ないのみならず、たまたま就職してもパージされた者であることが知れると又体よく解雇されるのが実状である。即ち本訴の如き場合に於て周囲の情勢上少し長く無効の主張をしなかつたとしても決して信義則に反するものとは云い得ないと思われる。されば被告のいうように永い不行使により失効したとは云えない場合である。

と抗争した。(証拠省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁並に抗弁として、

一、原告主張の第一項の事実はこれを認める。第二項の事実はこれを否認する。第三項及び第四項の事実はいづれもこれを争う。

二、本訴の提起は権利の濫用であり、不適法である。蓋し原告等は信義則上から本件解雇の無効を主張し得ないに拘らず敢て本訴を提起したのであるから訴権の濫用である。憲法第三二条によつて日本国民に保障せられた裁判を受ける権利としての民事訴訟法による私権保護請求権即ち訴権もその濫用を禁止せられて居ることは憲法第一二条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は……国民はこれを濫用してはならない」と規定せられている点から明らかである。

抑も原告等は昭和二五年一一月四日被告会社から解雇せられたことを熟知し、同会社が当時就業規則に基く退職金規定による退職金並に労働基準法第二〇条所定の解雇予告手当として神戸地方法務局姫路支局に弁済供託した金員を昭和二六年二月一四日夫々受領して置き乍らその後六年半を経過し客観的情勢や本件解雇の被告側実施責任者であつた工場長新美一次が同三二年七月二五日死亡するのを待つて同月三〇日に至り突如本訴を提起し、始めて解雇の無効を主張するに至つたものである。

右の如き訴の提起は信義則に違反するものであり、その理由は左記のとおりである。

(イ)  原告等は被告会社の解雇に対し異議を主張しない旨の黙示の表意としか考えられない退職金受領等の表示行為をしておき乍ら後に至つて訴訟を提起し解雇の無効を主張することはその権利行使の方法があまりにも恣意的で信義則に反するものといわねばならない。

(ロ)  原告等が退職金受領等雇傭関係の終了に伴うすべての清算手続を完了したので、被告会社は原告等との雇傭関係は既に終了したものと考えて再出発し、人員の配置転換、後任者の採用その他一切の処置を採り新たな事実関係及び法律関係を形成したのであるが、原告山田の属していた浅田化学従業員組合及び原告中島の属していた浅田化学職員組合も夫々解雇を承認し、原告等が既に組合員でないものとして役員選挙を処理する等新たな関係を形成したものである。

斯くて原告等は被告会社及び右両組合を含めて一の集団関係から完全に脱退したものであるし、その後六年有余の長きに亘つてその状態のまま推移させながら、客観的情勢のすつかり変化した今日訴訟によつて解雇の無効を主張するのは可及的速やかに法律関係を安定せしめようとする法の理念に背馳する結果となり、この点からいつても信義則に反する権利行使の方法であるといわねばならない。

このことは労働組合法第二七条が不当労働行為のあつた場合でも、その行為のあつた日から一年を経過したときはその救済申立が出来ないことを規定した法意からも肯定できるものである。

(ハ)  原告等は本件解雇が行われてから七年余を経過し、解雇当時の被告会社の責任者であつた工場長新美一次が胃癌によつて昭和三二年七月二五日死亡するのを待つて同月三〇日に至り突如本訴を提起し、始めて解雇の無効を主張するに至つたわけであるが、何故に七年余を経過した今日迄本訴を提起しなかつたのであるか、被告会社に解雇事由についての立証が困難となる時期を狙つてなされたものとしか解釈出来ない。斯かる権利行使の方法も信義則に違反するものである。

三、本件解雇は民法第六二七条第一項、労働基準法第二〇条第一項に基き解約の申入により為されたもので、合法且正当である。

(1)  被告が原告両名と締結した労働契約は夫々期間の定めのない雇傭であつたのであるから、被告の有する経営人事、管理権に労働協約若しくは就業規則上の解雇に関する制約のない限り民法上の原則や労働基準法上の規定に従つて解約の申入が自由に出来ることは労働契約の性質上当然のことである。

(2)  而して本件解雇当時である昭和二五年一一月四日頃は被告会社と原告山田の属していた浅田化学従業員組合若しくは原告中島の属していた浅田化学職員組合との間にはいづれも労働協約は全然存在しなかつたのであるし、就業規則も未だ有効に設定されて居らなかつたのが実情であつた。

(3)  従つて昭和二五年一一月四日本件解約の申入当時においては労働組合法第七条労働基準法第三条第一九条等に触れたり権利の濫用に亘らない限り同法第二〇条第一項の予告期間を置くか、三〇日分以上の平均賃金を支払うことによつて民法第六二七条第一項によつて労働契約の一方の当事者である被告は何時でも必要に応じて原告等に対し解約の申入を為し得る自由を有するものであつた。

(4)  而して被告会社は原告等に解約の申入をするについて当時労働協約や就業規則が存在して居つた訳ではなかつたが、同人等の各所属していた浅田化学従業員組合若しくは浅田化学職員組合の立場を尊重し円満に処理する意味で原告等の解雇について両組合の承認を得ることに努めたし、昭和二五年一一月六日迄に退職届を提出すれば、希望退職の取扱を為す余地を与え退職の勧告を為すと共に、これに応ずれば高額の餞別金を支給することに決定した。

(5)  斯くして被告は原告両名に対し労働基準法第二〇条の解雇予告手当を支払い且退職金を支払う方法によつて(所轄法務局に対する弁済供託を為した)同月六日迄に退職届を提出すれば、希望退職の扱いもするし、餞別金をも附言して民法第六二七条第一項に従い同月四日解約の申入を為す旨の通告を為し、同月七日弁済供託と同時に解雇の効力を生じたものである。

四、前記解約の申入当時被告にはこれを為すにつき必要性があつたものである。

(1)  被告会社は昭和二五年頃においては硫酸礬土、加里明礬、アルミナホワイト、加里肥料その他化学製品の製造販売業を営み約二百名の従業員を有し事業場は自家鉱山にて採掘せる明礬鉱を処理して製品に至る業務を行つていたものであり、硫酸礬土は各地水道の浄水剤並に製紙用資料として加里明礬は各種医薬品、工業薬品として、アルミナホワイトは印刷インキの母体として、加里肥料は重要肥料として用いられ正に我国における国民保健、衞生、文化、食糧生活に重大なる影響を及すべき重要化学工場であつた。殊に加里明礬は我国唯一の工場であつたし加里肥料は加里資源に乏しい我国においては最優秀品生産工場であり、硫酸礬土、アルミナホワイトは全国において夫々二〇%、五〇%内外の生産量を持つており、加里明礬、硫酸礬土は海外にも輸出して居り、我国文化並に保健上重要なる製品を生産する重大責務を担つた公共性の強い事業を経営して居つたものである。

(2)  而して当時被告会社の経営は経済的困窮状態に陥り昭和二五年六月頃においては毎月の従業員給料も六、七〇〇円ベースであつたに拘らず満足に支払えず遅払は常であり同年七月分給料は僅かに四九%を支払し得たに過ぎなかつた。

それでも同年六月分の給料支払額に比すれば遅払額の多かつたという程度で、従業員の生活困窮の状態は見るに忍びないものがあり、被告会社としては当に破産寸前の経理状況に陥つていた。

斯かる状態下にあつたので、労使は一体となつて危機打開に努め、会社は他よりの借金並にソビエツト輸出の道を開き従業員は労働時間を延長してまで増産に協力しなければ到底経営を維持して行くことの出来ない余裕を許さぬ火急の事態に直面して居つた。

(3)  然るに従業員の一部には前記の如き会社並に従業員の石にかじりついても仲よく、おかゆを啜り合つて危機打開に努めている緊急状態並に労使の真摯な決意を理解せず外部の破壊的勢力に隷従し又はこれと結んで公然或は隠然その指令下に活動し職場の規律を紊し秩序を破壊し且会社の真相を歪曲して宣伝する等他よりの指示を受けて煽動的言動を為し、他の従業員に悪影響を及ぼし或は円滑な業務の運営に支障を及ぼし企業の運営に協力しないような者があつた。

(4)  そこで会社としてはこれ等一部従業員を直ちに排除しなければ会社の存立を危くし又は会社の機能を破壊するに至り遂には会社に課せられた前記の社会責務を果すことが出来ないと確信するに至つたのであるが、原告両名は前項の標準に照らし他に対する煽動者であり、又その企画者であつて企業の安全と平和に実害のある一部従業員であつた。

五、被告会社の原告両名を前記整理基準に該当すると認定し解雇するに至つた具体的事由は左のとおりである。

(1)  昭和二三年暮頃から同二五年一〇月に至る間原告等はいづれも組合事務専従者でもないのに殆んど連日作業時間中上司の許可なく仕事を放棄して数時間宛会社構内の組合事務所に滞留し浅田化学細胞のビラを作成したり「播州化学」なる新聞の発行に従事し、或は「ミヨウーバン」なる工場新聞を発行しこれ等を配布する等により職場規律を紊し且つ他の従業員を煽動した。

(2)  昭和二五年三月から同年一〇月末日に至る間原告等は勤務時間中上司の許可なく勝手に職場を離脱し同社構外に出門し、その儘帰社しなかつたことが数十回に及び職場規律を紊した。

(3)  昭和二四年一二月三〇日、三一日の両日原告等は外数十名の労組員を指揮し被告会社の当時の社長浅田平蔵の自宅である神戸市乗水区塩屋三七三番地の邸内に塀を乗り越え或は勝手に閉鎖した門を押し開けて侵入し玄関の間に座り込み、社長は病気臥床中なりしに拘らず長時間に亘り面会を強要したり壁や塀に名誉毀損に亘る文句を書いたビラ、ポスターを張り或は「殺せ」とどなる等の暴挙に出て越年資金要求にかこつけ正当な組合運動を逸脱した行動を為した。

(4)  昭和二四年一二月下旬頃原告等は被告会社から同社所有の自動車用シート横一〇尺、縦一五尺のもの二張及び垂木材数十を窃取し、山陽電鉄塩屋停留所前に仮小屋を建設する等の行為を為した。

(5)  昭和二四年一二月一五日頃原告等は日本共産党浅田化学細胞なる名称でビラを作成配布して被告会社の従業員に対し「気に入らぬ時都合よくカゼをひき」なる川柳により或は前記(3)に記載したような違法不当な方法心構えで被告会社の事務所に部課長が動くまで座り込め等の文章により従業員を煽動して会社に対する不信反感を醸成し生産能率の低下に務め、職場規律を紊した。

(6)  以上のように原告等は具体的に円満な業務運営に支障を及ぼした者であるが、更に進んで暴力的な工場破壊活動を為す具体的な危険性のある者であつた。

この具体的危険性の存在を裏付ける行動として本件解雇の直後である昭和二五年一一月二四日原告等は外部団体の者数十名と共に被告会社正門から暴徒となつて乱入し、原告山田同中島等が各先頭となつて二団に別れスクラムを組んでホワイト作業場、結晶場、礬土流し場、現場室前を通り事務所に乱入、電話機を取上げ警察への連絡を不能にした上、浅田重役、大森一市会計係、鈴木治夫調査係、都倉守衞に各治療二週間、社長、新美工場長、高木調査課長、小川泰二営繕係にも夫々打撲傷を与えた事件がある。

六、仮りに本件解雇が無効であるとしても、解雇の無効を主張する権利を有していた原告等が六年八ケ月の久しきに亘つてこれを行使せず、相手方たる被告においてその権利はもはや行使せられないものと信頼すべき正当の事由を有するに至つたため、その後である本訴提起当時これを行使することが信義誠実に反すると認められる特段の事由がある場合に該当するので、原告等の解雇の無効を主張する権利自体がその消極的不行使による自壊作用の故に失効したものであることを主張する(昭和三〇年一一月二二日、最高裁判所判決参照)。

七、仮りに右主張が理由がないとしても、原告等は被告のなした昭和二五年一一月四日の解雇に対しその無効を主張する私法上の権利を黙示的に放棄したものである。蓋し原告等は昭和二六年二月一四日かねて被告が原告等の解雇予告手当及び退職金として神戸地方法務局姫路支局に弁済供託した金員を夫々何等の異議をも留めず受領したものであるから尠くともその時期に於て黙示的に解雇に対し無効を主張する私法上の権利を放棄したものであると認定するのが相当である。

又原告等はその後昭和二七年四月二八日平和回復し客観的情勢がすつかり変化した際にも被告の為した前記解雇について訴の提起を為さなかつたばかりでなく、被告会社に対しても何等解雇について異議を主張しなかつたのであるからその時期において前記解雇に対し無効を主張する私法上の権利を黙示的に放棄したものと認定するのが相当である。

八、被告会社が原告等を解雇するに至つた事由については前述のとおりであるが、右解雇を為すに至つた直接の機縁は昭和二五年五月三日の連合国最高司令官声明以来同年六月七日附、同年六月二五日附、同年七月一八日附の屡次に亘る同司令官の内閣総理大臣吉田茂宛各書簡等により共産主義者及びその支持者を重要産業より排除すべしとする占領政策が明示せられ、ついで同年九月最高司令部労働課長エーミスより我国重要産業の労使代表者が招致され期間等を指示して共産主義者及びその支持者を各企業より排除すべき旨の強い要請があつたことにある。

当時被告会社においては原告等によつて日本共産党浅田化学細胞が結成届出され、同細胞員並にその支持者等によつて幾多の破壊活動が行われていたので前記客観的情勢もあり緊急に人員整理を実施するの已むなき事情に立至つたのである(乙第八号証参照)。

被告会社は右の緊急人員整理においては原告両名が日本共産党浅田化学細胞に属し日本共産党員であることは既に当時において明確になつておつたことであるが、同人等の業務阻害的部分に重点をおき「他よりの指示を受けて煽動的言動を為し、他の従業員に悪影響を及ぼし、或は円滑な業務の運営に支障を及ぼす者又はその虞ある者及び企業運営に協力しないような一部従業員」を企業から排除することに重点を置き整理基準を定め選考の結果原告両名がこれに該当するので同人等の解雇を実施するに至つたのである(乙第八号及第一二号証の二参照)。

被告会社が右の如く原告等の共産党員としての活動中特に業務阻害的部分に着目して右の基準に該当するものを解雇したのは国内法の立場においても瑕疵なからしめることを期したからに外ならない。

前記最高司令官から発せられた屡次の声明及び書簡は占領政策を達成するための必要な措置として公共的報道機関のみならずその他の重要産業の経営者に対してもその企業内から共産主義者並にその支持者を排除すべきことを要請した指示と解するのが相当である(昭和三五年四月一八日、最高裁判所決定参照)。従つて前記最高司令官の指示によつて重要産業より共産主義者及びその支持者を排除すべしとする超憲法的法規範が設定せられたものと解すべきであるから本件解雇の法的効力は正に右法規範に照らして判断せらるべきである。而して被告会社が前記指示にいう重要産業に該当するものである点は既に述べたとおり又原告等がその指示にいう共産主義者であることも疑のないところである(乙第一二号証の二)。従つて本件解雇は有効であり本訴請求は失当である。

と述べた。(証拠省略)

理由

原告等が被告会社に勤務していたものであるが、昭和二五年一一月四日被告により解雇せられたことは当事者間に争がない。

被告は原告等の本訴提起は訴権の濫用であり不適法であると抗弁するので、考察する。被告訴訟代理人は訴権の本質につき具体的訴権説即ち権利保護請求権の立場に立つていることはその主張自体により明かである。当裁判所は右の見解に必しも賛成するものではないが、被告のいわんとするところは憲法第三二条の保障する民事訴訟法制度利用権(公権)を指すものと解せられる。而してこの意味における訴権も権利の一種としてその濫用は許さるべきでないが、如何なる場合に訴権の濫用ありといい得るか。この点につき判例学説の見るべきものがないので、当裁判所としては私権の濫用について説かれる所に倣い、原告において訴訟において判断を求むべき権利又は法律関係のないことを知りながら敢て訴を提起し又は権利行使に名を藉りて不法の目的を遂げようとする意図を以て訴を提起する場合がこれに該当するものと考える。然るときは被告が本訴の提起が訴権の濫用であるとして理由づける事由は実体法上も解雇の無効を主張することが信義則に反するとの主張をも含むものとすれば確かに傾聴に値する所論であると考えるのであるが、これを以て直ちに訴権の濫用と為し難く、その他被告の全立証を以てしても、本訴の提起を以て訴権の濫用と認むべき証拠はないので、被告の右抗弁は採用しない。

次に原告は本件解雇は共産党員ないしその支持者を企業より排除することを目的としてなされた所謂「レツド・パージ」であるから、憲法第一四条第一項、第一九条、第二一条第一項及び労働基準法第三条に違反し、無効であると主張し、被告はこれを争うにつき考察する。成立につきいづれも争いのない乙第八号証、第一二号証の二、第一五号証の一ないし七、第一六号証の各記載に証人高木陽之助の証言(一、二回共)を綜合すれば、本件解雇も所謂レツド・パージと認めるのが相当である。而して昭和二五年五月頃から同年一一月頃に亘り我が国において公共的報道機関を始め遂次各種重要産業において共産主義者及びその支持者が所謂レツド・パージとしてその職場から多量に追放されたことは当裁判所に顕著な事実であり、右は結局連合国最高司令官の昭和二五年五月三日附声明、内閣総理大臣に対する昭和二五年六月六日附、同年六月七日附、同年六月二六日附、同年七月一八日附各書簡(乙第一五号証の二ないし七)の精神と意図に基く連合国最高司令官の指示に基いてなされたものであることが認められ、右指示は日本国憲法及び一切の国内法に優先する効力を有したのであるから、右指示の趣旨に従つてなされた解雇は有効と解すべきところ(昭和二七年四月二日、同三五年四月一八日各最高裁判所大法廷決定参照)、原告等が当時共産党員であつたことは前示乙第一二号証の二によつてこれを認めることができ且つ成立につき争のない乙第一七号証の一、二証人園田省次、同高木陽之助(一、二回共)の各証言を綜合すれば、被告会社は硫酸礬土、加里明礬、アルミナホワイト、加里肥料その他化学製品の製造販売業を営みその業界における比重も相当なものであることが認められるので、尚重要産業の一角を担当しているものということができる。従つて本件解雇はその他の争点につき判断するまでもなく有効であるから、本訴請求は失当であり、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 庄田秀麿)

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